牛の涙

今日は真面目な投稿を。

 

僕の祖父の家では、その昔、家の敷地内で牛や鶏を飼育し米や野菜を作るのと同じ様に彼等からの恩恵を受けながら生活をしていました。

 

そんな牛や鶏を祖父や祖母は家族のように大切に大切に可愛がっていました。

 

岐阜の山奥にある小さな町ですから、周辺の家庭でもそれは当たり前の環境です。

 

そんな山奥の自然な場所ですから、幼少期の夏休みや冬休みには祖父の家に暫く預かって貰い自然や動物との生活を満喫した思い出がたくさんあります。

 

そんなたくさんの思い出の中でも心に強烈に刻まれたものがあります。

 

ある日、眠い目を擦りながら起きてみると、祖父や祖母がいつもとは違う悲しそうな顔で慌ただしくしています。
そんな時、1台の巨大なトラックが庭に入ってきます。

 

そして、そのトラックの荷台に見たこともないような大きな檻が乗っています。

 

“これは何かが起こる!”

 

子供ながらにそう感じたのを覚えています。

 

祖父を探すと牛舎にいました。

 

牛舎の牛は今まで僕が聴いた事もないような声で叫び暴れています。

 

祖父は彼を無理矢理牛舎から引っ張り出しトラックの方へと連れて行きます。

 

トラックの前まで来ると、牛は更に抵抗し脚を突っ張りトラックの運転手も含めた大人3人でもビクともしないぐらいに抵抗します。

 

その時、僕の祖父が牛の耳元まで行き、頭を擦りながら優しく何かを呟きました。

 

その瞬間、牛の眼からは大量の涙がボロボロ溢れ出しました。

 

後ろ姿でしたが祖父も泣いている様に見えました・・・

 

そして、何かを悟ったように牛は自らトラックの檻の中へと入って行きました。

 

つまり、このトラックは牛を引き取りに来ていて、牛はその後、食肉にされてしまうのです・・・

 

 

 

減量や食事制限をしていると、味気ない物が多くなるし牛肉や鶏肉も調味料を使わず焼くだけで食べなくてはならない時期もあります。

 

そんな時にどうしても

『不味い』

『飽きた』

『またこれかよ』などと感じてしまうものです。

 

しかし、文句があるなら食べなくていいし、誰かに命令されて食べているわけでもありません。

それに、同じ物を食べるにしても『おいしい』と感謝して食べるのと、『不味い』と文句を言いながら食べるのとでは必ず違う結果が生まれるような気がします。

 

僕は動物愛護団体ではないし、スピリチュアルな精神も持ち合わせていませんが、あの時の牛の涙と祖父の涙から、何かを感じられる様な人間でありたいと思っています。

 

最近、そういった言葉を耳にする機会が多かったので、僕なりの考えを書きましたがあくまで個人的な気持ちですので悪しからず。

 

ただ、自分の子供が『不味い』とか言いながら食べてたら、頭張り倒すけどね・・・

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